今回のテーマは「伝える為には『憂い』が必須」です。
以前「表現はナルシスティック」に、という投稿をしましたが。
カッコいいだけだと、美しいだけだと伝わりません。
これは、歌も、作詞も。
表現には、どうしても自分の素の部分が含まれます。
自分が経験したモノしかアウトプット出来ない性質上、当然になります。
そこには気恥ずかしさが伴います。
表現で恥ずかしい事を隠そうとすると、どんどんカッコ良くなる、どんどん美しくなる。
そうすると、どんどん伝わらなくなるんです。
問題はカッコ良すぎな事や、美し過ぎてる事を自分が気付きづらい事。
表現には必ず「憂い」が必要になります。
言わば誰もが持っている人間のネガティヴな要素。
弱さ、もろさ、セコさ、ダサさ、ズルさ、悪さ、汚さ等。
出来れば、人に知られたくない部分。
そういった人間としての「憂い」が表現に入っていく事で、人の心にスッと入ってきます。
「憂い」を出すには思い切りが必要になります。
高所恐怖症の人が竜神大吊橋からバンジージャンプする位の覚悟です😎
「憂い」の出し過ぎは抑える事が出来ますが、出ていないモノを出すには、本人が思い切るしかありません。
分かりやすく言うと「盛る」事で、その突破口を見出しやすい。
なので、表現する場合は、「憂い」を盛り気味で参りましょう🎤😊