現在、日本のマスメディアは厳しいコンプライアンスの中に居ます。
ここ5年で許されない表現が増えました。
急激に増える規制は閉塞感を生み出します。
特にテレビは出来る表現が明らかに減りました。
ついついその時代の急激な変化を嘆くばかりになりがちですが。
コンプライアンスのはざまを縫って繰り出された表現は、とてつもないヒットを叩き出します。
そのはざまを縫って出来たネタの代表例が、お見送り芸人しんいちさんの「好きの歌」です。
多くの人が感じているであろうダサさを「好き」と表現する事で笑いを取るという、コンプライアンスへのカウンターで非常に高度で繊細な技術をネタに昇華しております。
一昔前ならば「嫌い」と表現していたくくりを「好き」と表現する事で笑いを取るとは、コペルニクス的転回であります😎
「嫌い」では最小公倍数の部分を突くのに対し、「好き」では最大公約数の部分を突くという、似て否なるアプローチ。
我々表現者は現状を嘆くばかりでなく、その先の解決策まで考えないとイケナイという好例です。
日々是学びですね〜😊
ここ5年で許されない表現が増えました。
急激に増える規制は閉塞感を生み出します。
特にテレビは出来る表現が明らかに減りました。
ついついその時代の急激な変化を嘆くばかりになりがちですが。
コンプライアンスのはざまを縫って繰り出された表現は、とてつもないヒットを叩き出します。
そのはざまを縫って出来たネタの代表例が、お見送り芸人しんいちさんの「好きの歌」です。
多くの人が感じているであろうダサさを「好き」と表現する事で笑いを取るという、コンプライアンスへのカウンターで非常に高度で繊細な技術をネタに昇華しております。
一昔前ならば「嫌い」と表現していたくくりを「好き」と表現する事で笑いを取るとは、コペルニクス的転回であります😎
「嫌い」では最小公倍数の部分を突くのに対し、「好き」では最大公約数の部分を突くという、似て否なるアプローチ。
我々表現者は現状を嘆くばかりでなく、その先の解決策まで考えないとイケナイという好例です。
日々是学びですね〜😊